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2005-10-24

本番終わり

観に来てくださったお客様、どうもありがとうございました。

いっしょに頑張ってくれた小耳のみなさん、お疲れさまでした。

本番の映像はダウンロードして見てください。⇒anatahanemukunare2.wmvをダウンロード 2565898_90_3

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小耳プロジェクトは今年はこれで解散です。次回はまた新しい企画、新しいメンバーでお会いしましょう。

「あなたはねむくなれ」の最もお気に入りの劇評を載せます。

試験に出ないねむくなれ3段活用  宮下ムソー

私は自分がファンである人の芝居やライヴにしか出ないので、毎度毎度、「うおおお、なんで客として観れないんだああ」と地団太踏むのだが、今回の「あなたはねむくなれ」はその葛藤の頂点で、ぎりぎりまで出演を渋った原因のひとつもそれです。
前回の「ひとさらい」はスタッフということで、本番は客に混じって観れるはずだったのに、超満員で入りきれないという信じがたい不幸に見舞われました。
その教訓をいかし、今回は3回公演に増やして、自分の座席を確保したはずだったのに・・・。
というわけで、峰尾かおり一人芝居「エレベーターの鍵」に引き続き、自分が一観客だったら書いたであろう擬似感想文です。



お芝居を志す人は、ほとんどが人間ドラマをやりたくて始めるはず。人間の生々しい感情の揺れ動きを表現したいはず。観客もその感情の動き見つめたくて集まってくるはず。
殺人教団死ぬ死ぬ団の教祖 仁子が終盤で見せる独白芝居は、演劇の醍醐味そのものだった。
しかし、下松勝人の問題意識は、その先にあるように思う。感情の奥にあるものを見極めようとしていると感じた。
感情というものには因果の流れがあり、起承転結があるからこそ感動する。傷ついた原因があり、苦悩の過程があり、昇華される結末があるからカタルシスがある。客は疑似体験ができる。
と、まあそういうことになっているが、原因というのはなんでもそうだけど、原因の原因の原因を考えていくと、ぽっかり空いた虚無に行き着く。
父親からの性的虐待、夫からの暴力という仁子の不幸の原因を考えても、究極には虚しく、宗教的に「前世の因果」とか言わない限りは「偶然そうなった」としかいいようがない。
父親の性欲を責めると、最後には生物界への呪いに行き着く。しかし、生物界の恵みも受けているわけで、世界を呪うことも祝うこともできなくて、待っているのは虚無だ。
虚無から突然原因が噴出したとしか表現できない。宇宙がどのようにして出現したかを問うているのと同じだ。

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「あなたはねむくなれ」は、第1に仁子の感情の物語であり、
そこでの「ねむりたい」は心の叫びであり、観客が共有できるものだ。

しかしその奥にある原因の世界は、スクールキラーA(バイオ モドキ神)という、因果から解き放たれた、虚無から突如出現した「神」の世界で、そこには人間の納得できる法則は働いておらず、観客は理解も共感もできず、そこでの「ねむくなれ」は「思考を停止せよ」という命令だ。

狂乱する人間・仁子の隣に佇む異形の神。
狂おしいまでの感情の激流と、その先にある無感情な神の世界との一瞬の出会いが、「あなたはねむくなれ」だ。

そんなものを500円で、ボロイ教室でひょいと提示されて、受け入れることのできる客はそうはいない。ただ、「あなたはねむくなれ」という神の命令だけは強烈に働いて、みんな思考停止している。これが仁子だけのお芝居であったら、感動の嵐でみんなワンワン泣いてたかもしれない。でも、その仁子の激情の傍らには、理解不能な宇宙法則がずっと佇んでいるのだ。

その上で、「今、神の世界に触れた」ということも忘れるように、再び人間の病院のシーンに戻る仕掛けがなされている。

みんな、「ああ、患者の話ね」「構成が凝ってたね」というレベルで納得している。

勘のいい人は、「しかしあれは安全装置だ、その直前の仁子が本質だ」と思っている。

さらに勘のいい人は、「その横に佇んでいた神が本質だ」と気づいて愕然としている。そういう人は、うかつに感想を書かない。

つまりまとめると、理性の世界、感情の世界、言葉なき意味なき虚無の世界、3つの世界が重なり合っている。
舞台は、三つの世界の間を移ろう。

哀れな仁子は、しかし殺人者でり、そこには「集団自殺といったって、それは殺人だろ」という、作者の怒りがこめられている。
その仁子に安らかな死を与えるのは、観客置いてけぼりで突然目覚める荒ぶる神。
スクールキラーAが仁子の元を訪れたのは偶然か理由あってのことか。Aは、その理由を「お前が呼んだ」と説明する。お前が呼んだ、とはどういうことか。殺人者は神に裁かれるということか。しかし、Aは罪深き者のみに死を与えるわけではない。神戸では罪なき子供を生贄に要求した荒ぶる神なのだから。
理由なき虚空から出現した神に、人間の考える因果は通用するのか。仁子は、ただ偶然にAに遭遇したに過ぎないのかもしれない。

しかし、仁子を刺したスクールキラーAは、仁子と寄り添うように崩れ落ちる。
無慈悲に立ち尽くし、笑みを浮かべるのではなく、添い遂げるように崩れ落ちる。
それは、このお芝居で最も美しい場面。

そこに、作者のぎりぎりの祈りのようなものを感じた。
不条理な世界のなかで、一瞬の慈悲を見出したいという、祈りのようなものを感じた。

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コメント

トップページの「死ぬー死ぬー」の場面の次にこの「ガチョーン」を見るとなんの芝居かよくわかりませんね。

そのとおり! なんの芝居かゼンゼンわかりません。
わからない人はみんな、ビデオを買って全貌を知ろう!

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